書き手:PLAYFUL スタッフ
体験のあとに、よく聞かれること
体験にお越しいただいた保護者の方から、よくいただく質問があります。
「どうして、このクラブを始めたのですか? ふつうのミニバスのチームとは、何が違うんでしょうか?」

少し長くなりますが、私たちがどこから来て、どこへ向かおうとしているのかを、順番にお話しさせてください。
連載「PLAYFULの考え方」第2回は「なぜPLAYFULを始めたのか」です。
私たちが変えたいと思っていること|ミニバスと勝利至上主義
ジュニア世代のスポーツの現場では、ときどき、こんな光景が語られます。
大きな声で叱られながらプレーする。大人が先回りして口を出す(過干渉)。
勝つことがいちばん大事だとされる(勝利至上主義)。
はじめにお伝えしておきたいのは、私たちは誰かを責めたいわけではない、ということです。
熱心に指導される方も、応援に力が入る保護者の方も、根っこにあるのは「この子によくなってほしい」という善意です。私たちの中にも、同じ気持ちは確かにあります。
それでも私たちは、「大人の願い」が強くなりすぎると、こどもの「やりたい」という気持ちが置いていかれてしまうことがあるのではないか、と考えています。
変えたいのは人ではなく、その構造のほうです。
PLAYFULが生まれるまで
PLAYFUL Basketball Academy は、2020年12月に静岡で活動を始めました。
代表の播磨コーチは奈良県でミニバスの指導に携わってきました。
長くバスケットボールに関わるなかで持ち続けていたのが、
「勝利至上ではなく、こどもが主体となって純粋にバスケを楽しめる場をつくりたい」という思いです。
その思いを形にしたのが、このクラブの始まりでした。
そして、もうひとつ。できれば親子一緒に、という願いがありました。
難しさも楽しさも同じコートで分かち合い、「できた」という喜びを一緒に味わう。そうして自己肯定感が育っていく場にしたい。
私たちが親子で参加する形をとっているのは、この願いが出発点になっているからです。
今、体育館で起きていること

たとえば、うまくいかなくて座り込んでしまう子がいます。ボールより、鬼ごっこのほうが楽しい子もいます。大人のほうが息を切らしていることもあります。
そうした場面で、私たちは「早くやりなさい」と急かしません。まず「どうしたの?」と聞くところから始めます。
気持ちを言葉にしてよい場所だと分かると、こどもは安心します。安心して出した気持ちが受け止められると、次は自分の内側から「やってみたい」が出てきます。
私たちは、この順番をとても大切にしています。
安心 → 受け止められる(承認)→ 自分から動く(主体性)→ できた・挑戦できた(自信)。この積み重ねが、こどもの土台をつくっていくと考えています。
(これはあくまで「たとえば」の一般的な描写です。実際の様子は、クラスや当日の状況によって変わります)

私たちが目指している未来
近い未来として願っているのは、親子の関係が、今より少し豊かになることです。
バスケットボールは、大人がやってみると思っている以上に難しいスポーツです。
同じコートに立ち、同じ難しさを味わい、同じように悔しがる。その体験があると、家に帰ってからの声かけが少し変わるのではないかと考えています。
遠い未来として願っているのは、自分自身を大切にできる人が育つことです。
自分の気持ちを大切にできる人は、相手の気持ちも大切にできます。そして、自分の人生を自分で選んでいける人になっていく。
バスケットボールは、そのための手段(ツール)のひとつだと私たちは考えています。
変わらずにあり続けたいもの ― プレーヤーズセンタード
過去から未来まで、私たちが変わらず持ち続けたいのが、プレーヤーズセンタードという考え方です。
プレーヤースセンタードとは、プレーヤー本人を中心に、保護者やコーチなど多くの人が周囲にいる状態を指します。
「こどもが一番えらい」という順番づけ(プレーヤーズファースト)ではありません。コーチが教え、プレーヤーが教えられるという上下関係でもありません。
こどもも大人も、お互いに尊重し合うフラットなやりとりが起きる場のことです。
私たちは、そのような双方向のつながりの中で、親子がともに「気づき」「学び」「成長」していく場をつくることを大切にしています。
なぜPLAYFULを始めたのか。答えを一行にすると、こうなります。
怒られないでバスケットボールを楽しめる場所を、親子で分かち合える形でつくりたかったから。
その場所は、今日も静岡の体育館にあります。よかったら、一度のぞきに来てください。初回の体験は無料です。
次回予告|第3回「『やりたい』で動く子と、『怒られたくない』で動く子」
同じように積極的に見える行動でも、その内側にある気持ちはまったく違うことがあります。being(どう在りたいか)と doing(何をするか)という視点から書きます。
